先日、公務で来たとある男性
私も父も彼とは初対面です
彼はまず父と話しました
次に私と話しました
その時の彼の第一声は
「(あなたの)お父さん、ちょっと(人の話を)聞かないですかね、、、」と呆れ顔で呆れ声
私は一瞬、彼が私の味方をしてくれている感覚を味わいました
それで嬉しい思いを抱きながら、「ああ、そうかも知れません。お手数お掛けし申し訳ございません」と返事をしました
彼が帰り、振り返ってみると、、、
あれ?
私、「話聞かない父」と言った男性に対して、喜んでたよね?
ちょっと待った!これって
私の無意識下に
「父は話を聞かない、しょうがない人」って設定があるじゃん
そして、「話聞かない父を私は敵とみなしてる」じゃん!!
この無意識は役に立たないぞ、と言う事でセルフセッション
私はなぜ?何のためにわざわざ「父を話を聞かない人」として設定したのか?
すると出て来た記憶は、
昔、母が父に「ホント自分勝手で話が通じないんだから!」と言っていた場面が出て来ました
私は母に同調したのです
何の為に母に同調したのか?
母に力を与える為に、「父を話を聞かない仕方のない人」として設定したのです
そして、母はそんな父の身の回りのお世話をして「偉い人」と設定する事で母に力を与えたのです
何の為に私はこの様なやり方で母に力を与えたのか?
私の世界に住む母は、「誰かを蔑まなければ、自分自身の価値を感じられない人」と私が設定していました
「自分の価値を示す為に、近くにダメな人間を置く」の代表例を母にやらせたのです
何のために母にその役をやらせたのか?
第一子である私を出産した時のエピソードが出て来ました
母は初めての出産で(言葉の通じない国で不安だらけだった為に?)死にかけるという現実を作りました、結果「言葉が分からなくても、この国の人たちが私を守ってくれる」という体験を得ました
異国で生きる事に対する絶対的な安心感を、母が自ら育てた様に感じます
対して、赤ちゃんの私は頭が出たのに、母の子宮に戻され溺れた為に、母を「力のない人」と誤解した様に感じます(このエピソードを聞かされた時に、「やっぱりお母さんは自分や子供の命すら人任せで、無責任なんだ」と怒りを感じた自分を思い出しました)
それにより「母には力(価値)がない。母の周囲の誰か(自分や父)を蔑む(さげすむ)事で母に力を与えよう」とややこしい事を始めました。
でも事実、母は他者の力を借りて、自らの命を自ら繋げました。命の危険を犯してまで、自らの選んだ日本に対する安心感を強固に作り上げた強者です
【私は、母に備わった母の本来の力を認めます】
「あなたのお父さんは人の話を聞かないのね」と言わせた目的は、
●母には母の力がある、それを私が認める事
●他者を蔑む事は、自らの価値を蔑む事。自らを敬う事は、他者を敬う事。逆も然り
●他者に理想を求める事にエネルギーを注ぐのではなく、自分自身を理想の自分に育てる事にエネルギーを注ぐ事
それらにより集中する為に、必要な出来事だった様です
ちなみに
私が母に対して抱いた批判
「やっぱりお母さんは自分や子供の命すら人任せで、無責任なんだ」
これを感じた自分を思い出した瞬間に
私が小学校6年生の時に初めてのスキーで、全く検討をつけずに滑って派手に転んで、先生に「薄情なやつだな」と言われた記憶
私が20代前半に初めてのサーフィンで、全く検討をつけずに初めて「死ぬかも」と初めて感じた記憶
それらが蘇り
ああ、私も自分の命に対して無責任だったな
と思い出しました
お母さんに向けた「やっぱりお母さんは自分や子供の命すら人任せで、無責任なんだ」言葉は、
私がそんな無責任な私を許していなかったから
私が私に向けた批判だったのです
自分の命に対して無責任だった自分を許す事は
無責任でい続ける事を許可する事ではありません
そんな無責任な自分がいたからこそ、
自分を大切にしようと思える自分が育った
だから、無責任でいてくれた私に対して「ありがとう」と感謝を込めて、無責任だった私を許し受け入れます
あなた(無責任だった私、そしてそれを無責任と批判したた私の両方)がいなかったら、私は身を持って真剣に自分を大切にしようと思わなかった
※スキーの先生の「薄情なやつだな」は当時は理解できませんでしたが、今になって思えば、「自分に対して情が薄い奴」だったと感じます。スキーで派手に転びました、自分を大事にする人が転ぶ転び方ではなかったのです
\命の本質に目覚めて、喜びと豊かさを循環させる/
身体の病気を辞めさせる対話セラピスト
佐藤紗梨