(スピ系への違和感は、被害者を産んじゃう前提や問い掛けを使う事があること)
【第二の私は、私の命の恩人】
本当の自分として生きていると親との共存が不可能(怒られる、愛されない等等)だと思い込んだから、第二の私として生き始めた
第二の私として生きる事は、私の本望ではなかったけど、
もしも第二の私を作らずに生き続けていたら、
私は成人する前に、
自殺していたかも知れないし、親に虐待させていたかも知れないし、自己否定MAX通り越して病死や事故死を招いたかも知れない
そう考えた時、
巷でいう、「偽り(第二)の自分として生きていては破綻する」というのも正解ではあるが、
第二の自分は絶対必須だったのだと実感することが出来る
私がこの「答え」を導き出したのも
ある「問い」のおかげ
この問いは、弱者や被害者を生む事が出来ない
だから、自分の人生を自分の足で歩める
私はスピ系の方々に触れた時、
透視力等等の不思議な力は圧倒的にあるのに、この点を知らない方々が多いことに、
スピ系が、被害者を産む可能性がある事を知った
もちろん全てのスピ系を指している訳ではなく、私が出会った9割以上のスピ系の方々の事です
彼らに悪気はないけれど、
「愛されなかった」などという受け身の言葉を使い続けている事に気が付いていないだけで、こんなにも残念な負のループを作り続けるのかと、驚愕した