私は娘を責めていた、それは自分を責めていたから
それは幼い私の生き方だった
小さい私、あなたが頑張ってくれたから、今の私がいるんだよ、ありがとう
私が母の人生を一緒に背負う事で、私の人生は続ける事ができた(と思い込んでいた)
それは幼い私の精一杯の生きる手段だった
母の人生を母に返します
幼い私が勝手に勘違いして、勝手にあなたの人生を「生きる錯覚に陥っていた」事で、私はあなたからの命令をたくさん出させた

私は何のために子供を育てるのか
子供の自立のため
何のために子供を自立させるのか
自分の自由を取り戻すため
いや可笑しいな、仮に子供が生まれる前が自由なのだったら、子供を産んだ目的が「自由を取り戻すため」である筈がない

「私は家族の愛を受け取る為に、子供を育てる」

「責められるべき人」という自己認識像を持っていた為、それが「愛されてはいけない」認識に拡大していたのだ、もちろん頭ではそんなこと考えていません、心の奥底の無意識のセルフイメージですよ

だから、愛を受け取らずにいた、愛を受け取る事に許可を出さずにいた、だって、私は「愛を受け取る」人ではなく、「人に責められる人」なんだから、ね?

だから、自己認識像の通りに、母親にたくさん「責めさせて、命令させた」現実を作り出したのだ

巧みでしょう、高等技術でしょう、みなこの力を行使して生きている