孤独は、人間関係を語るうえで、たぶん一番奥にある言葉だと思う。
別居から離婚までのあいだ、どうしようもなくしんどかった。
夫から離れて、子どもと三人で暮らして、心も身体も安全なはずなのに。
それでも、苦しかった。
何がつらいのか、自分で説明できない。
理由がわかれば対処できるのに、その「理由」が見つからない。
ただ時間が過ぎるのを待って、離婚という区切りが来るのを待っていた。
結局、今でもうまく言葉にはできない。
ただひとつ分かったのは、「理由のないしんどさ」は確かに存在する、ということだった。
言語化できないものを、誰かにわかってもらうのは難しい。
そして、しんどさを100%理解できるのは、自分しかいない。
誰かがそばにいても、その人が自分の経験を最初から最後まで生きることはできない。
同じ出来事でも、何を感じるかは人によって違う。
悲しむのか、怒るのか、それすらも想像することしかできない。
友達を「助けたい」と思うことも、
子どもを「わかってあげたい」と願うことも、
少しだけ、傲慢なのかもしれない。
自分のことを100%わかってあげられるのは、自分だけ。
これは、自分にとって大きなパラダイムシフトだった。
他人に期待することも、期待されることも、どこかで生きる意味にしていた。
でも、それは手放したほうがいい。
少なくとも、心を守るという意味では。
だからこそ、思う。
あなたのことを、私は100%はわかってあげられない。
それでも、幸せでいてほしいと思っている。
そのために、もし自分が少しでも役に立てるなら、役に立ちたい。
そう思っていることを、ちゃんと伝える。
そして、実際に動く。
「誕生日おめでとう」とメッセージを送るのも、そのひとつだ。
あなたがこの世界に生まれてきたことに意味があると、伝えること。
出会えてよかったと、伝えること。
どうか幸せでいてほしいと、願うこと。
その願いに、少しでも関わらせてほしいと差し出すこと。
たぶんそれが、「誕生日おめでとう」の本当の意味なんだと思う。