sarisari

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好きな時間を増やす

父親役と母親役と先生役とコーチ役と


会社員とデザイナーと講師と


PTAと学生とメルマガ編集をやっています。



好きなものを集めたり、思い出したり、増やしたりするブログです。

誕生日でした。

 

40歳になった数年前は、

家を出たばかりで

右も左もわからない土地で

当時の夫は離婚に応じる気配もなく

精神的に余裕が全くなく

誕生日をどんなふうに過ごしたのか記憶がありません・・・

 

その後の数年も、離婚成立、引っ越し、子供たちの小中入学、息子のホームスタディ、自分の転職など

40代という年代を味わうこともないまま

いつの間にか、もはやアラフィフか?!という年齢になっていました。

 

離婚成立までは本当に本当にしんどかったので

その時に比べたらなんてことはないのですが

それでも、やっぱりしんどいな、疲れたな、何もしたくないな、と

自分が深く深く沈んでいっているような感覚が時々あります。

 

あぁ、今私はしんどいんだな、と比較的早く気付けるようになったことは

ここ数年で一番学んだことなのかもしれません。

でも、気づくこと自体がしんどかったり。めんどくさいよな、自分がw

 

転職したこと、昔の友達と会うようにしたことは、我ながらグッジョブで

救われていることがたびたびあります。

 

そして、何より、子供たちがそばにいてくれること。

これはかけがえのない時間であり、私が恵まれていることです。

誕生日の夜、娘が「ママ大好きだよ。産んでくれてありがとう」と何度も伝えてくれました。

 

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さて、これから一年は。

もう、本当にいいかげんね、暗くいたくない。

自信のない自分に疲れてきたので

自信を持てるように、ひとつひとつ丁寧にやっていきたいです。

息子や娘を愛するように、自分のことも愛したいなと思います。

 

でも今この瞬間は結果ではなくプロセスだから。

 

プレミアムな一年にしたいです。

 

今日は月一のオンライン面会でした。

 

私は顔を合わせないのだけど、

セッティングしたり、

子供たちが傷ついていないか

向こうが変なこと言い出してないか

気になってしまったり

自分が思っている以上に疲れてしまう。

ずっとSnow Manの動画見てた。。。

 

今日はSnow Manのライブに何年何月何日に行ったという話を娘がしており・・・

それ調べたら場所特定できるやつだからw

まぁ、ドームだからね、いろんなところから来るからね。

そんなところでお金遣ってるのかって絶対思ってそうw

 

 

今後は3か月に一度2時間対面で会わせるようになる。

その間何しようかなぁ。

手っ取り早くすっきりするのはカラオケかな。

最近の曲全然知らないからなぁ。

思い出したい過去があるのは、ある意味幸せなのかもしれない。


でもあれ以上に幸せになれるか自信がないのなら

ある意味幸せじゃないのかもしれない。

久しぶりにここ10年ちょっとのことを人に話す機会があった。


自分の中では結構消化できてきたと思っていたのだけど

もちろん大部分はそうなのだけど

いまだにメンタルに波があって

何故その波はやってくるのだろうとずっと疑問に思っていた。


ここ最近の仕事のやらかしと

久しぶりに自分の外に出した言葉たちのおかげでやっと気づいたのは


「思ったより」傷が深い ということ。


仕事やらかしも

結局、自分の自信のなさ、疑問を持たずに従う(しかない)という変なしがらみによるものだった。


自分が我慢すれば、全て丸くおさまるのだと

細胞レベルで植えつけられており

特に強く言ってくる人には

(側から見たらそんな強く見えない人でも)

無条件で何も言えなくなって、上っ面の言葉しか並べられない。


現状のマイナスをなくすことに精一杯で

もっと私は幸せになれるはず!という

20代まで持っていた根拠のない自信や希望は

本当にどこにいってしまったのか。


そう考えていたら、昔の友人にむしょうに会いたくなった。

ここ5年くらいで出会った人たちは、

自信のない私しか知らないので

まだ自分で自分を肯定できていた頃の私を知ってる人に

今もあなたの良さは変わってないよって言ってほしい。

自信を取り戻すことを手伝ってほしい。


人にヘルプを出すのは得意ではないのだけど

ここを乗り越えたら本当に抜け出せる気がするので

ちょっとお願いしたい所存です。





孤独は、人間関係を語るうえで、たぶん一番奥にある言葉だと思う。


別居から離婚までのあいだ、どうしようもなくしんどかった。
夫から離れて、子どもと三人で暮らして、心も身体も安全なはずなのに。
それでも、苦しかった。


何がつらいのか、自分で説明できない。
理由がわかれば対処できるのに、その「理由」が見つからない。
ただ時間が過ぎるのを待って、離婚という区切りが来るのを待っていた。


結局、今でもうまく言葉にはできない。
ただひとつ分かったのは、「理由のないしんどさ」は確かに存在する、ということだった。


言語化できないものを、誰かにわかってもらうのは難しい。
そして、しんどさを100%理解できるのは、自分しかいない。


誰かがそばにいても、その人が自分の経験を最初から最後まで生きることはできない。
同じ出来事でも、何を感じるかは人によって違う。
悲しむのか、怒るのか、それすらも想像することしかできない。


友達を「助けたい」と思うことも、
子どもを「わかってあげたい」と願うことも、
少しだけ、傲慢なのかもしれない。


自分のことを100%わかってあげられるのは、自分だけ。


これは、自分にとって大きなパラダイムシフトだった。
他人に期待することも、期待されることも、どこかで生きる意味にしていた。
でも、それは手放したほうがいい。
少なくとも、心を守るという意味では。


だからこそ、思う。


あなたのことを、私は100%はわかってあげられない。
それでも、幸せでいてほしいと思っている。
そのために、もし自分が少しでも役に立てるなら、役に立ちたい。


そう思っていることを、ちゃんと伝える。
そして、実際に動く。


「誕生日おめでとう」とメッセージを送るのも、そのひとつだ。
あなたがこの世界に生まれてきたことに意味があると、伝えること。
出会えてよかったと、伝えること。
どうか幸せでいてほしいと、願うこと。


その願いに、少しでも関わらせてほしいと差し出すこと。


たぶんそれが、「誕生日おめでとう」の本当の意味なんだと思う。