今日から書ける時に
介護というカテゴリの中で
日々見えている風景を
それぞれの場所から眺めてみます。
毎日見てきている光景ですが、
それでも
視点を変えると
少し違って見えて見えてくるかもしれないと思えるので。
今日は、
介護される方。
それとその方のお世話をしている方々からの風景。
☆まずはご本人。
認知症を患って、一番困るのは
他ならぬご本人です。
ご自身は今までどおりに過ごしているつもりなのですが、
日常生活のほとんどのことが
少しずつ少しずつ
ずれていきます。
それはいつの間にかすすんでいて、
そして家族が気づくのは
ほぼほぼ手のうちようがなくなったころになることが多いです。
認知症の進行は
早いか遅いかの違いがあるだけで、
進まない、もしくは治るということが
現時点ではまず見込めないと思っていて間違いないようです。
薬が次々と開発されているようですが、
自分たちが見ている現場で使われているものに限って言えば、
効き目を実感できるようなシロモノには
お目にかかったことはありません。
(副作用だけは顕著に現れるのですけどね。)
お金がもったいないなぁ・・・・・。
話がずれました。
日々の生活を今までどおりに過ごしているつもりの
認知症老人にとって、
そこは違う、どうしてそうなるんだ、それはもう済んだことだと
責め立てられてしまうと、
ものすごい不安とともに
すさまじい混乱が襲い掛かります。
本人にとっては何一つ違うことなどないからで、
そうすると
一見意固地に見えるような執着とか
聞き分けのなさとかにつながっていきやすいです。
ストレートな表現になりますが、
認知症を患っている脳に日々の変化や家族の状況を理解しろというのは土台無理があり、
仕方のない部分が大きいのですが、
あまりにも理解してもらえない(話が通じない)お年寄りに
苛立つ家族さんも多いです。
それでも
ご本人は、毎日を今までどおりに精一杯
生きていこうとされているだけで、
家族に迷惑をかけているつもりなどない方がほとんどです。
ご家族にとってみれば
ここが一番の困りどころ。
『本人は当たり前のつもりなんだよなぁ。』と
頭を抱えてしまう部分です。
認知症という症状が
なぜ、この世に授けられたのか、と
考えてしまうことがあります。
毎日、職場で繰り返される
『もう、夕方だから帰ってご飯を炊かないと。』
と言いながら徘徊を続けるお年寄りさんたち。
本気で帰るつもりだから、
ちょっと油断すると
本当に姿が見えなくなって大騒ぎすることになります。
止めるのも大変で、
本気で怒って手を振り払って
時には叩き引っかきつばを吐きかけてでも
外に出ようとがんばってしまいます。
これ、自宅にいてもする人は結構多い。
こうなってしまうと
自宅が焦土と化します。
(大げさに聞こえるでしょう?)←
本来、安らぐはずの家が
殺伐とした空気に包まれ
薄ら寒い雰囲気に
家族全員が様々に病んでしまう事にもなりかねません。
ただ、
どうしたらいいのかと問われても、
決まった答えもありません。
人に対することなので、
マニュアル化できるはずもないのです。
ただ言えるのは、
どの立場にいようと
すべて『人』のことであるということ。
順番にめぐってくることなんですけどね、認知症な毎日。
毎日同じ事を繰り返し、同じ事で騒ぎ、
同じように周りがうんざりしてしまう。
こんな姿を見せてもらって、
何を学ばなければならないのかを
考えることがあります。
とても答えが出るような問いでもなさそうなのですが、
毎日、認知症老人の姿を見せてもらっていて、
本当に一生懸命なんだなぁ、
こういう風に必死に家族を支えようとがんばって生きてきた人たちなんだろうなと
思うようになってきています。
だからって勘弁できない状態であることに変わりはないんですけどね。
たびたび襲い掛かってくる不安と混乱に押しつぶされそうになりながら、
それでも家族の役に立ちたい、働いていたいと願っているのだろうなと思えます。
落とし所はどこなんでしょうね。
せめて、
ご本人もご家族様も
ささやかな幸せを感じられるような暮らしが出来るといいなと思います。
立場を違えて考えるって、
かなり難しいですね。
介護員視点からほぼ抜けてなくてスミマセン。
次回は
介護員から見た介護される人と
介護員から見た責任者と指示を出す側の人間。
そして介護員から見た介護という現場のこと。
どこまで書けるかな。