2月11日 №359
 
ヤコブは…父イサクのところに行った。そこはアブラハムとイサクが一時、滞在した所である。…イサクは息が絶えて死んだ。

創世記35章27~29節
 
 ヤコブは、20年ぶりに父と再会しました。家を出た時、父の視力は衰え死期が近い状態でした。父と子は、思いがけず再会できたことに、どんなにか喜びあったことでしょう。家を継いだ兄は親元にいませんでした。

 かつてヤコブは、「兄は親孝行だが、弟は親を捨てた」と人々から言われたことでしょう。しかし、父の最期を看取ったのは兄でなく、親不幸呼ばわりされたヤコブでした。

 当時のヤコブの行動は、神の祝福を求める熱意からでした。彼が先祖から受け継いだ霊の流れの地に戻れたのは、彼の求道心に、神が応え導くことができたからです。反対に、求道心のないエサウには、神は手を出すことができず、導くことができませんでした。

 友よ。愛する者を一時的に悲しませることがあっても、人の顔を恐れ、「神の国と神の義とをまず第一に求めよ」(マタ6章33節)を止めてはなりません。人生の帳尻は、自分でも人でもなく、神が合わせるものです(黙20章12~13節参照)。神に導かれ易い自分(いつでも、どこでも神を求める者)でいて下さい。