10月4日 №594

ヨセフは父が右手をエフライムの頭の上に置いたのを見て、それはまちがっていると思い、父の手をつかんで、それをエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。

創世記48章17節

 ヨセフは、「父上。それは違います」と言って、次男エフライムに置いた父の右手を、兄マナセに移すよう導きます。しかし、父ヤコブの手の位置は、彼の視力の衰えからくる間違いではなく、神の御心でした。  

 献身・結婚・奉仕・教会・献げること…など一つひとつに主の御心があるものですが、それを「主よ、それは違います」と言って、自分の常識で変えようとします。

 主は、漁に出て何も捕れないペテロに、「舟の右側に網をおろしなさい」(ヨハネ21章6節)と言われました。聖書では、右は神の領域、左は人の領域です。右側(神の御心の中)でないと、魚(祝福)は捕れません。そして、右、左を決めるのは人ではなく、神の主権です。

 友よ。自分の意に反することに直面すると、神の手を移したくなりますが、ここが信仰の戦いです。信仰の戦いは、サタンと大上段に渡り合うことや世の不正と戦う以上に、自分を神の側に置き続けることです。「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている」(同15章4節・新共同訳)。