9月5日 №565

「私たちは農地といっしょにパロの奴隷となりましょう。どうか種をください。そうすれば私たちは生きて、死なないでしょう。」

創世記47章19節

 ヨセフの政策の結果、人々は「パロの奴隷になります」と告白しました。神が罪人に達成したいことは、「イエスを主と告白」させ、さらに「イエスを主として生きる」ように導くため、「奴隷となります」と告白させることです。
 
私たちもエジプトの民と同じく、最初に銀(お金)を、次に家畜(労働・奉仕)を、さらに追い詰められると土地(家や不動産)を手離します。しかし神は、「全焼のいけにえや、その他のいけにえ」(Ⅰサム15章22節)でなく「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」(ロマ12章1節)と、「あなた自身」を求めます。

 神が人に初めに望むことは、「イエスを神」とすること、次は「イエスを主」とすることです。「神」には「自分を助けてくれる神」の思いが濃く、主体は自分ですが、「主」には、「主の奴隷としての私」の意味合いが濃く、主体はイエス御自身です。

 友よ。「主の奴隷(イエスを主とする)」にこそ、本当の自由があります。「子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです」(ヨハネ8章36節)。