8月30日 №557

「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで…。」

創世記47章9節

 ヤコブが言う「ふしあわせ」について、ヤコブ自身に答えてもらいましょう。

 …私は信仰深い家に生まれ、幼い時から神を教えられて育ちました。しかし、私は神の御心がわからず、自我のままに行動し、兄と父をだまして怒らせました。

 そして、父を悲しませたまま、叔父の所に逃げました。その途中で、神と出会いましたが、すぐまた元の自己中心な自分に戻り、20年を過ごしました。

 妻たちと子ども同士の争いが絶えず、ハランの義父から夜逃げしました。その途上で、神が再び出会ってくださいました。でも、その時点で、子どもたちは私を憎み、兄弟同士で殺し合うほど心が荒(すさ)んでいました。

 私の自我で家族を支配せず、もっと早く神に明け渡して家族を愛せたら、神の栄光を現せたのに…、私は本当に「ふしあわせな者」です。

 「ふしあわせ」と思う友よ。その思いこそ、聖霊による謙遜の恵みです。その者には神が、「私の民は、恥を受けることはない」(ヨエル2章26・27節)と繰り返し、保障してくださっています。「主に感謝せよ。慈しみはとこしえに」(詩136)と叫びましょう。