8月19日 №548

ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えるためにゴシェンに登った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた。

創世記46章29節

 ヨセフは、数ヶ月前に兄たちと会って、人目はばからず大声で泣き、今、父と20数年ぶりに再会し、年老いた父の首に抱きついて泣き続けました。

 兄たちとの涙は、兄弟同士の再会と共に、彼らを悔い改めさせるために行った悪質とも取られる行為に、彼らがついてきたことへ感動でした。父との涙は、なによりも愛する父に会えたからです。 さらに、肉親であることを超えて、神を教えてくれた父であるゆえに、その喜びは倍加しました。

 主イエスも、何度も涙を流されたことでしょう。父から離れ、人となられる別れの時。ラザロの家で(ヨハ11章35節)、悔い改めないエルサレムを見て、ゲッセマネの園で、十字架の上で、…そして、昇天し天に帰り、父に再会した時…。 

 友よ。神の子とは誰ですか。標準的な生活をし、常識的で、家族を守り、離婚せず、子をクリスチャンにし、老後の面倒もかけず…の人ですか。それ以上に、「アバ父よ」と言って父の神に抱きついて泣き崩れ、「主よ、もしそこにあなたが居てくださったら…死ななかったのに」(ルカ11章32節)と主イエスにすがりつき、神に泣きつく者ではないでしょうか。