6月27日 №495

その杯はベニヤミンの袋から見つかった。

創世記44章12節

「盗んでないのに、『盗んだ』とされた罪」は、「原罪」を表しました。かつて意識しなかった原罪について、今思い浮かべることができます。

 ①神によって造られたのに、自分を神として生きることは、まことの神の存在を「盗んだ」ことになります。

 ②神によって与えられた人生なのに、神に従わない自己中心の人生にしたことは、神からの人生を「盗んだ」ことです。

 
 ③人が生きるために、神が備えてくださった様々な賜物や物質的な物を、自分のものとし、自分のためだけに使うなら、「盗んだ」ことになります。…いかがでしょうか。
神のものを自分のものにするのが盗みなら、福音を信じたことも「盗み?」でしょうか。しかし主は、「私の肉を食べ、血を飲め」(マタイ26章26~)と福音をただで受け取ることを喜ばれます(イザヤ55章1節参照)。

 友よ。神のものを自分のものにした第一の盗み。神の恵みを受けた第二の祝福された盗み。しかし、第三の盗み「恵みを感謝しない盗み」があることを忘れずに!「主に感謝せよ…×二十六回」(詩136)。