6月19日 №487

ヨセフの食卓から、彼らに分け前が分けられたが、ベニヤミンの分け前はほかのだれの分け前よりも五倍も多かった。

創世記43章34節

 年長順に席に着き食事が並べられましたが、末弟ベニヤミンの皿には、兄たちの五倍のご馳走が盛り付けられました。彼は同じ母の子なので特別扱いを受けたのでしょうか。それにしても、五倍とは大差です。

 末弟と兄たちは母が違う以上に、ヨセフ事件にベニヤミンが係わっていない、という違いがあります。パウロは、「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれる…」が、「罪の中に絶対にとどまるな」と強調しました(ロマ5章20節~6章2節参照)。

 罪を避けねばならないのは、罪があると神から愛されなくなるからではなく、その人が神から遠ざかるようになるからです。また、罪の重荷が、日常の生活から、自由と喜びを奪うからです。

 事実、事件を知らないベニヤミンはこの接待を喜び、兄たちの心は不安の塊です。神に責められる罪ある者と、罪を認められない者の平安や祝福の差が「五倍」という数字があらわしているのでは?「主が罪を認めない人は幸いである」(ロマ4章8節)。

 友よ。「あなたの荷を委ねよ」(詩55・22)とある最大の「荷」こそ罪です。