6月15日 №483

「これがあなたがたが私に話した末の弟か。」…「わが子よ。神があなたを恵まれるように。」      

創世記43章29節

 ヨセフは、ついに同じ母から生まれた、ただひとりの弟ベニヤミンと再会しました。胸に込み上げるものを押さえつつ、「わが子よ。神があなたを恵まれるように」と感情を抑え、しかし愛情深い呼び方で弟に接しました。

 主イエスは全ての人の長兄ですから、だれかに会ったら、「私の父に祝福された、私の弟よ」とすぐに話しかけたいに違いありません。でもヨセフのように、「わが子よ」としばらくは挨拶ことばで話しかけられます。ここに表された、「間」は大切です。

 ヨセフは「兄弟よ」と言う前に、ベニヤミンも含めた兄弟たちの罪を取り扱い、彼らを「神の子」にしようとしています。本当の兄弟になるには、「悔い改めて福音を信じ」(マルコ1章15節)「父なる神の子」になってこそ、本当の兄弟になれます。

 友よ。教会は神の家族として愛し合うところですが、そこにも霊のけじめが必要です。それは、真実な兄弟姉妹になるには、一人ひとりが真実な神の子とならねばなりません。ここが崩れると、「教会(信じる者の集い・神のいのちによる交わり)」ではなく、「協会(組織・人の交わり)」になります。