5月24日 №461

袋をあけると、自分の銀を見つけた。しかも、見よ。それは自分の袋の口にあった。

創世記42章27節

 兄たちがエジプトの食料を買うために差し出した銀が、袋にそのまま返されていました。あまりの不思議さに、彼らは身を震わせ、「神は、私たちにいったい何ということをなさったのだろう」(28節)と言い合いました。

 神は士師サムソンが生まれる前、両親に「あなたはそれを聞こうとするのか。わたしの名は不思議という」(士師13章18節)と言われました。彼らには、なぜ自分たちに主が現れ、不思議なことを言われるのかわかりませんでした。

 しかし、自ら「不思議」と名乗るお方には、何も不思議ではありません。ただあなたが今、不思議に思うだけです。兄たちが身を震わせるほどの不思議も、すべてヨセフの計画の中にあることでした。

 あなたの身にも不思議なことが多くあるでしょう。それらすべては、主の御計画の中の出来事です。不思議だからこそ、主の深い御計画であり、主があなたに働いておられる証拠です。
友よ。自分ですぐに結論を出さずに、今しばらく不思議なことを見つめ続け、祈ってください。すると「不思議なお方(神)」が見えてきます。そのとき、その事は不思議でなくなります。