5月19日 №456

彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。」

創世記42章21節

 父を殺して王位を奪った叔父の仕業を、舞台で演じて見せて罪を暴いたシェイスクピアのハムレットは有名です。

 兄たちに接するヨセフの行動も、兄たちを役者に仕立て、彼らの罪を自分たちで演じさせているようです。当初不可解でしたが、度重なるうちに、兄たちにも本筋が少しわかり始めたようです。しかし、彼らの考えはまだ因果応報の域です。

 因果応報には、問題の真の解決がありません。なぜなら、善と悪の絶対的基準がないからです。善と悪、幸福と不幸、富と貧、すべて比較の世界です。しかし、聖書の世界には、いのちと死、善と悪、聖と俗などに絶対の基準があります。その基準とは、神が「よい=善」とするか、「否=悪」となさるかです。

 兄たちは、「罰を受けているのだなあ」程度の意識ですが、これは確かに神からの罰です。しかし、神が許す罰は、御自分を罪人に知らせ、悔い改めさせ、罪を赦し、自由にするためです。

 友よ。「神は罰しない」という軽い福音に気をつけてください。神の罰は、罪の価の支払いではなく、罪人を主の十字架まで引っ張ってくるために必要な罰です。