5月7日 №444

ヤコブは…息子たちに言った。「あなたがたは、なぜ互いに顔を見合っているのか。」

創世記42章1節

 エジプトの飢饉は、カナンにも及びました。エジプトに食料があると聞いたヤコブは、息子たちに食料の買出しに行くよう催促しますが、彼らは顔を見合わせるだけです。

 兄たちがエジプト行きに二の足を踏むのは、十数年前のヨセフ事件でした。あの時は、皆の怒りの勢いで、ヨセフがいなくなれば自分の問題も消せると考えました。しかし、問題がなくなるどころか、ヨセフを売った(外側の問題を取る)ことは、心の傷と痛みを作り、さらに潜行して魂の病(罪責感)となりました。罪によって(ヨセフを売って)罪(怒り・妬み)を解決しようとした結果、体(外面)も心(内面)も霊(命)も痛めつけられました。

 罪責感は、「弟の血の声…」(4章10節)を消さないように神が介入しているからです。それは、人を苦しめるのではなく、神が罪に介入したいからです。

 ある詩人が、「神は、片手に光を持ち人の内側(罪)を照らし、もう一方の手に救いを持っている」と言いました。

 友よ。神の聖霊の光に罪を照らされたら、もう一方の手に自分を委ねましょう。神の左手(断罪)も、右手(救い)もどちらも愛の手ですから!