3月21日 No397

主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。

創世記39章2節        

ヨセフの奴隷としての生活が始まったのは十七歳でした。掃除や家畜の世話など、奴隷の仕事は重労働です。その中で黙々と働くヨセフの姿に目を留めていきましょう。

 右の御言葉から、彼がエジプト人の奴隷として生きているという以上に、自ら進んでそこにいるようにすら読み取れます。兄弟から奴隷にされた卑屈さはなく、本当の主人である神に、「お前はポティファルの家にいて、忠実に仕えなさい」と言われて働いているかのようです。嫌々いるのではなく、神によって与えられた場所に喜んでいたのです。

 彼の姿を、全てのクリスチャンに当てはめる必要があります。私たちは、かつてサタンと罪と死の奴隷でしたが(ヨハ8章34節)、今はパウロと同じく「神のしもべ」とされました(テト1章1節)。神のしもべは、神から遣わされる使徒でもあります。奴隷ではなく、神に在る自由人。押し付けられて働く使用人でなく、使徒(遣わされた者)として喜んで働く者です。

 友よ。私たちは主から召され、御霊の自由の中で、どこにあっても、主に仕えるゆえに人々に仕える者です。その目的は、全て神の栄光のためです。