12月10日 №296

ヤコブは眠りからさめて、「…主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。

創世記28章16節

 ヤコブは、ここべテルで初めて神に出会ったと思っていますが、神は彼を生まれる前から知っていました(エペ1章4節参照)。さらに、今まで何度も語りかけましたが、「しかしヤコブよ。あなたはわたしを呼び求めなかった」(イザ43章22節)と主は言われました。

 子に語りかけない親などいないように、神は自然界・文学・歴史・科学・神の子たち…を用いて全ての人に語りかけました。人々が神を求めないのは、罪にまみれ弱い本当の自分を知らないし、それを認めと自分を失うので、怖くて認められなかったからです。ヤコブが、「主がこの所におられた」と言った「この所」こそ、自分の「弱さ・罪深さ」です。

 は、「まことに、彼は私たちの病を負い…痛みを…罪のため…咎のため…砕かれた」(イザ53章4・5節)とは、罪と弱さの中に主が来られたことになります。富、満腹、笑い、賞賛の所に主はいられません(ルカ6章24)。

 友よ。ヤコブの「この所」に主がおられるように、あなたの「この所」を隠さずに主に差し出して下さい。そこで主を見ます。