12月9日 №295
そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。
創世記28章13節
誰でも、「主がそばに来て語りかけてくださったら」と思うものです。そしてヤコブのように、「罪の増す」人生でなければ神の声を聞くほど「恵みも増す」(ロマ6章1節参照)ことはないのでは、とも考えます。
それならば、自己中心の固まりの人が御声を聞いたことになりますが、そうとは言えません。ヤコブが御声を聞いたのは、罪を増し、家族から離され、追い詰められ、神を見上げる他ないところまで追い詰められ、やっと心を神に向けたからです。
御声を聞くのは、どんなことをしたとか、激しい人生体験よりも、静かなところで心を静め、神を信頼して待つ時です。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46・10、口語)。
神は誰にでも、いつでも御声をかけておられます。それは、聖書全体から与えられる神の約束の言葉です。主がヤコブに、「わたしはあなたの主であり、共にいてあなたを守り、この地に連れ戻し決して捨てない(13~15節参照)と約束された言葉は、あなた自身への言葉です。
友よ。特別なことに望みをおかず、坦々と聖書を読む日常を大切にしてください。