12月5日 №291
エサウはイシュマエルのとこ ろに行き、今ある妻たちのほかに、…マハラテを妻としてめとった。
創世記28章9節
弟に出し抜かれたエサウは、不運の原因が異教の嫁たちを得たからだと考えました。父母が弟を親族の所に行かせたのも、同じ信仰を持つ嫁を得るため、と知りました(1~8節)。そこで、自分も同じ信仰を持つ妻を持って受け入れられようと、新たに妻を得ました。
彼は、悪い女を妻にしたから祝福されない、というように自分の「行為」に原因を探しますが、その行為を作り出す心が本当の原因だとは考えません。このように、物事の解決を外側から計ろうとする人は、いつまでもエサウのような愚かなことを繰り返します。物事は、内側から外側に向けて解決するものです。
エサウの問題は、本気で「神を求めない心」にあります。同じく、クリスチャンの問題も、知識や理屈や弁解や批判に心を満たし、本気で神御自身を求めないことです。たといヤコブのように求める方法が多少間違っていても、神を求める人に、神は出会ってくださいます。なぜなら、人の救いは、神がその人に干渉できることから始まります。神を求めることこそ、神の干渉を自分に許すことです。