12月4日 №290

「立って。パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き…。」
 

創世記28章2節

 ヤコブは、兄から長子の権利を奪い、父をだまして家督権を得て満足できたはずです。ところが現実は、策略をめぐらせて得たものも、最初から持っていたもの(家族や財産)も全て失うことになります。彼は、何一つ持たず逃げなければなりません。

 人が自分で作り出す「救い」は、それを得るまでの救いであって、得た時から救いでなくなります。、家や自動車などの物から、伴侶や子供でもそうです。むしろ、得た時から重荷となることすらあります。この世から受け取るもので、最後まで救いとなるものは何もありません。なぜなら、この世で得る全てのものは、人の救いそのものではなく、本当の救いを得るための「手段」だからです。手段は、目的を達成したら不必要になります。

 仕事や家や食物などは人の肉体を守るための手段、肉体は心を入れる器、心は神の霊を受けて保つ器です。「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る」(伝道12章7節)。

 友よ。諸々の物や食べ物、家族、仕事、人々を感謝しましょう。しかし、救いは「父・御子イエス・聖霊」の神だけです。