12月3日 №289

「…わが子よ。…私の言うことを聞いて、すぐ…私の兄ラバンのところへ逃げなさい。」

創世記27章43節

 エサウがヤコブを殺す計画を知った母リベカは、ヤコブを自分の兄ラバンの所へ逃がそうとします。そして、かつて父を欺いた時と同じように(13節)今また、「私の言うことを聞きなさい」と言いました。

 「私の言うことを聞きなさい」ほど危険な言葉はありません。家庭でも教会でも、「私の言うこと…」が出たら危険水域です。家族や教会の兄弟姉妹に、常に語らねばならない言葉は、「主の言葉を聞きなさい」です。

 言葉は、人格を離れては力を失い、正しい解釈もできなくなります。言葉と人格を離すことはできません。だから、「言葉が人格と一つになると「言(ことば)」になり「いのち」になります。したがって、「私の言うことを聞かせる」ことは、自分の命と一体化させ、「主の言葉を聞かせる」と、主と一体化させます。

 友よ、人の言葉は、初めは口に甘く後に人生を苦くします。主の言葉は、初めは受け入れられないほど口に苦いですが後に甘くなります。人の言葉は「逃げなさい」となり、主の言葉は「悔い改めなさい(方向転換)」です。あなたはだれの言葉を聞こうとしていますか。