10月7日 №232

「もしあなたが許してくださるなら…。私は畑地の代価をお払いします。」

創世記23章13節

 アブラハムは、サラを葬るマクペラの洞穴の売買交渉をしています。所有者はただで差し上げると言いますが、彼は金銭での売買を希望し、銀400シェケルで買いました。

 なぜ、無代価の申し出を感謝して受けず、お金を差し出したのでしょう。それは、この墓地がいつまでも自分の所有であるという契約をするためでした。彼は、ただで得たゆえに、いつの間にか権利を失ってしまうことを恐れたのでしょう。

 神の恵みに対する人の態度も同じです。救いは無代価だからこそ恵みである、とは真実です。しかし、何の犠牲も払わずに受け取る恵みは、「無代価」であるゆえに「無価値」にする可能性もあります。キリストの恵みは血の代価です。その感謝として、余り物を差し出してよいものだろうか。

 それでは友よ。私たちは何を主に献げるべきでしょうか。それは、神の無代価の恵みに対して、自分を無代価(条件をつけず・見返りを求めず)で神に差し出すことです。それは単純に、神が喜ぶことは行い、悲しむことをしないことです。信仰は難しくありません。自分よりも神を信頼して従うことです。