10月3日 №228
アブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエ(主の山の上には備えがある)と名づけた。
創世記22章14節
神がアブラハムを試みたのは、イサクを「私の子」「愛する子」とした彼の肉の聖別と共に、さらに積極的な神の意図があります。
神の試みの消極面は肉を殺すため、積極面は三位一体の神と一体にするためです。彼がここまで厳しく試みられたのは、神と一体となるためです。信仰には、「神の民」、「神の子」、「キリストの花嫁」の三段階があります。
「民・子」は、「主人・父」の恵みは受けても苦しみは負いませんが、「花嫁」は夫の悲しみや苦痛も負います。天の父が、イエスを失う心の痛みを共有できる人は、自分の子を失う痛みを体験した人です。アブラハムは、イサクを失う試練を通し、独子イエスを与えるほど大きな神の愛を、身をもって知りました。
自分の罪から受ける試練があり、自分の罪を超えてキリストの花嫁とされ、主と一体とされるための試練もあります。迫害もその一つで、時には病や困難などもそれに含まれます。ですから、試練を受けて過去を持ち出す悔い改めに終始してはなりません。もっと、「主の山には備えがある」に目を注いで下さい。
友よ。恐れるな主はあなたと共にいる。