10月1日 №226
アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。
創世記22章10節
アブラハムのように、自分の子を自分の手で殺す親が何人いたでしょうか。しかし、このことは、全ての父(親)が必ずしなければならない霊的行為です。
すべての人は罪の中に生まれ、そのままで神に受け入れられません。親のどんな能力も愛も、自分の子を罪から救うことはできません。ただ一つの解決は、罪の中にいるわが子をカルバリの主の十字架に連れて行くことです。
アブラハムが祭壇(十字架)でイサクを殺そうとしているメッセージの一つがこれです。子の罪と戦わない親は、「悪者を正しいと認め」(箴言17章15節)る者です。子を愛する人の目は、子どもの肉体的生命を超えて、霊的生命により関心を持ちます。
友よ。あなたは子の罪に突き刺す剣を持っていますか。その剣は「祈り」です。「祈りの剣」は子の心を開かせ、「御言葉の剣」が魂に切り込み神の命を植えつけます。毎日、毎日、子(救いたい人)の名を上げて祈り続けることは、小さな剣(祈り)でも心の開口部を少しずつ広げます。そして、御言葉の剣(霊)が魂に入り命が芽生える時を待ちましょう。