9月8日 №203

主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。

創世記21章1節

 あなたから子が産まれる、との約束は25年も昔のことです。人間ならとっくに忘れ実行などしませんが、神は実行されました。
パウロは神の約束について、「では、いったいどうなるのですか。彼らのうちに不信実な者があったら、その不信実によって、神の真実が無に帰することになるでしょうか」(ロマ3章3節)と言いました。

 諸々の宗教では、人や時代が代わる度に約束が変更されます。しかし、聖書の神は人や社会や時代が変化しても計画を変えません。神は、アブラハム夫婦が約束を信じ切れず、ハガルによるイシマエルを得る愚行にもかかわらず、彼らを教え、作り変え、導き、ここに至らせました。

 信仰は、私の真実の実ではなく、神の真実(約束を成就される)を「アーメン(真実です」とすることです。「彼女(サラ)は約束して下さった方を真実な方と考えたからです」(ヘブ11章11節)。アブラハム夫婦は、自分たちの不真実に意気消沈せず、躓き倒れても、また、神の真実に這い上がりました。

 友よ。私たちも彼らの信仰を学びましょう。「学ぶ」は「まねぶ」から出た言葉と聞きました。