8月14日 №178
「五十人の正しい者」 …「四十五人」…「四十人」…「三十人」…「二十人」…「十人見つかるかも…」
創世記18章26~32節
アブラハムの祈りは、六度にわたって要求を変えるほど執拗です。神が返事をするたびに、彼の信仰はより大胆になります。彼の要求は、「あの人の罪が、十でも…二十でも…三十でも…四十五でも…五十でも赦していただけませんか」に等しいものです。
しかし、神は彼の祈りに応えられません。なぜなら「義人はいない。ひとりもいない」(ロマ3章10節)からです。でも、「憐れみは裁きに打ち勝つ」(ヤコブ2章13節)とあります。神の目には、全世界に十人の義人も映りませんが、御自分の懐に一人の義人・イエスをお持ちでした。
最初のアダムによって罪が全人類に入りましたが、一人の義人・イエスの従順により、全ての人が義と認められる道が備えられました(ロマ5章14~21節参照)。主は、「父よ。彼の罪が十でも、二十でも、五十でも赦してください…。私がその代価を払いますから」と執拗に執り成しておられます。
友よ。アブラハムに勝る執り成し手がいます。それは、私たちを執り成すために、天から下って人となられ、「父よ、彼らを赦したまえ…」と十字架によって執りなされた主イエスです。