8月2日 №166
アブラハムが包皮の肉を切り 捨てられたときは、九十九歳であった。
創世記17章24節
ユダヤでは、男の子が生まれて八日目に割礼を行いましたが、アブラハムの割礼は遅く、九十九歳になってからでした。割礼は「肉に死んで霊に生きる」ことを、肉体上に見える形で表すしるしでした(百六十頁・17章10節参照)。肉に死ぬとは、人間の命の可能性を失うことです。百歳近い老夫婦には、子を産む可能性が全くなくなりました。これこそ、割礼の本質であり、割礼を受けるによい年齢といえます。
あなたは、いつ割礼を受けましたか。洗礼がその時でした。しかし、その一回ではなく、実際的割礼は試練によっても受けるものです。パウロは、死を覚悟する激しい試練によって、「もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼むものとなるためでした」(Ⅱコリ1章9節)と言いました。これもまた、自分に死に、主に生きる割礼の出来事でした。
友よ。病の宣告、経済的問題、愛する者との別れ、親子・夫婦・子ども・嫁・舅や姑の関係など…心を塞ぐ死の壁の前にたたずんで泣き、そしてそこから主を見上げるとき、神はあなたに割礼を実行しています。愛するあなたを、さらに、さらに愛するために!