7月26日 №152
「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。(新共同訳)
創世記16章13節
人は、サライの立場に立てばサライ、ハガルの立場に立てばハガルと同じことをします。サライは加害者ですが、同時に被害者で罪人です。ハガルは被害者ですが、加害者でもあり、罪人です。人が人を変えられません。
だれかに、自分の重荷を負ってもらいたくて近づくと、逆に重荷を負わされます。ただ主だけが、「わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11章28節)と言えるお方です。だから、必要なのは、神の顧みです。
「エル・ロイ」とは、単純に「ご覧になる神」とも訳せます。偶像の神々は、人が自分になにをしてくれるか要求して見る(ご覧になる)神です。さらに、裁くために見る(ご覧になる)神です。しかし、聖書の「ご覧になる神」は、ハガルを裁くためでなく、わが子を心配し、いつ手を出して助け、抱きしめ、必要なものを与えようか、と慈しみの目を離すことができず、ご覧になる神です。
今、弱っている友よ。あの人この人、と言っても問題は解決しません。思い切って、見ていてくださる神(エル・ロイ)に、幼子のようにすがり、泣いて祈り求めてください。「そうすればたましいに安らぎが来ます」(同・29節)。