7月21日 №147
私の女奴隷のところにおはい りください。…アブラムはサライの言うことを聞き入れた。
創世記16章2節
神の愛をアガペーと言い、「完全愛」とか「自己犠牲愛」とも言います。そこで、「自己犠牲」が伴う出来事に直面すると、神から出た愛だ、と勘違いします。そして、神の御心と人の思いを混乱させ、判断を間違わせます。今、アブラムの家庭にそれが起こっています。
妻が夫に他の女性を与える提案は死んでもしませんが、サライはこれをしました。この提案は、神の御心(子の誕生)にも通じ、なによりもサライの自己犠牲が伴うので神から出た御心に見えます。さらに、アブラムの男性としての欲情も刺激します。
「神の御心・自己犠牲・人の肉欲」の三つが一つところに集中されると、神の御心と自分の願いの境目が消され正しい判断を失います。そのことの最大の理由は、サライの「自己犠牲愛」と勘違いするほどの「自己主張」でした。
友よ。あなたは自己主張を自己犠牲に代え、ハガルと関係(罪を犯す)していませんか。多くの奉仕や献金や伝道など、熱心なクリスチャンほど陥りやすい罠です。「神よ。私を探り、私の心を知ってください」(詩139・23)と聖書の人々も祈りました。私たちも主に祈りましょう。