7月19日 №145

その日、主はアブラムと契約を結んで…。
  
創世記15章18節

 信仰の章といわれるヘブル書11章1節に、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるもの…」とあります。アブラムが信じて義とされたことを確信させる保証は何でしょうか。勿論、キリストの十字架です。そして、復活のいのちです。

 「十字架と復活」の確信は、どのように受け取れるものでしょうか。悔い改めの涙と共に…、飛び上がるほどの感動…、なんとなくいつの間にか…。また、信じて直ぐに…、長年求めた結果…、自分で意識しないとき…。

 これらの体験を持つ人々もいますが、根本的な根拠にはならず、根拠にしてはいけません。確信の根拠と保証は、「主はあなた(アブラム)と契約を結んだ」にあります。

 友よ。先の「信仰は望んでいることがらを、…保証し、確信させる」を、「神は、私が信じるとおりにしてくださる…」とするのは間違いです。これは、自分に根拠を置く「自作自演自滅信仰」になります。信仰とは、「神が、私に望むこと」を私が受け止め、信じ続けることです。すなわち、「神作・神業・神成就・信仰」です。今、信仰をもっていることは、あなたの行為によらず、神の一方的恵みなのです。信仰は賜物です。