6月11日 №111
「私は…あなたを祝福し、あ なたの名を高める、祝福の源となるように。」(新共同訳)
創世記12章2節
あなたはどんな祝福を望んでいますか。物質的な豊かさ、地位や名誉など社会的誉れ、あるいは家族の平和と健康でしょうか。どれもこれも、大小は別として必要なものです。しかし祝福は、「何を持つか」ではなく、「だれに祝福されるか」がより重要です。
この世の権力者から、富や名誉や地位などの祝福を受けても、その為政者の失脚や時代の変革により、かつての祝福が呪いに急変した歴史の現実を数多く見ます。富、地位、名誉、能力ですらも、主の前に立つ最期の日に災いに転ずることもあります。アブラムが受けた祝福は、「私は」と言われる神御自身でした。「主御自身がその嗣業である」(申10章9節)ことが最大の祝福です。
神を嗣業とする者は、神から語られ、導かれ、諭されます。神が持つすべてを持ちます。それは、神の子だからです。しもべは与えられた「恵み」を持ちますが、子は「与え主・父御自身」を持ちます。
神の子とされた友よ。「わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです」(ヨハネ17章10節)の祝福から目を離さないでください。