5月30日 №99
さて、全地は一つのことば( 言)、一つの話しことば(言葉)であった。( )は拙者
創世記11章1節
現在、世界の言語は大きく8つに分けられます。もし全地が同じ言葉だったら、だれとでも話し合え、心が通い誤解もなく平和でしょうか。それなら、日本語を話す同士なら誤解もなく心が通い愛し合えるはずです。しかし、離婚や親子の断絶、一国での内戦を見ても、同じ言語が平和を作り出してはいません。
「ことば(言)」とは、話し言葉を超えた「価値基準」です。そして「言葉」は、「言(ことば)=価値基準」を伝える手段としての英語、日本語、中国語などの「言語」のことです。夫婦の言葉が通じないのは「言(ことば)」が通じないのであり、外国人と会話ができないのは「言葉(言語)」の違いです。
ノアの洪水の後、人々は神を畏れて「一つの言(神という基準)」を持ちました。意見が違う二人でも、神の基準によって、「私は左に5m、あなたは右に2mずれている」とわかり、正しい基準に歩み寄ることができます。
友よ。個人、家族、国家や人類の問題の解決も、「初 めに、ことば(言=イエス・キリスト)があった」(ヨハネ1章1節)、とある「イエス・キリスト」を基準とすることから与えられます。