5月10日 №85
なだめのかおりをかがれ…。 「決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。」
創世記8章21節
神は、ノアが献げた動物犠牲のかおりを嗅ぎ、「人をのろわない」と約束されました。動物犠牲は、救いが「知識」でなく「いのち」によることを教えます。そしてさらに、人が救われることの中身を見せます。
羊を神殿に連れて来ます。罪を赦してもらいたい人が羊の頭に手を置き、自分の罪を羊に移します。羊を縛り刃物で頚動脈を切り、もだえつつ噴出す血を器に受けます。その血を、祭司が神殿の中に運び注ぎます。
この羊こそ、ゴルゴタに連行され十字架で血を流し死なれたイエス御自身でした。羊の姿は罪人が辿る道でしたが、主が身代わりに歩まれました。「キリストは、私たちのためにのろわれ…贖い出して…」(ガラ3章13節)。さらに、羊は火に焼かれ煙とされます。
愛する友よ。あなたの信仰は殺された羊・十字架のイエスで止まっていませんか。神が喜ばれたのは、立ち上った煙でした。それは、罪が処断され、きよめられ、新しい命となった復活のキリストへの信仰です。「事実、主は復活された」が初代教会の挨拶でした。復活信仰こそ、十字架信仰を完成するのです。