5月8日 №84
主は、そのなだめのかおりを かがれ…
創世記8章21節
ノアは、殺した動物をすべて灰になるまで焼き尽くしました。羊一匹でも、まして牛ならばなおさらもったいないと思います。主が全焼のいけにえを受けて満足したのは、献げた犠牲の大きさによって、自分に対するノアの忠誠度を確かめたからでしょうか。
主の満足は、犠牲の大小ではなく、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」(ヘブル11章6節)という信仰の香りでした。ここで殺され焼かれた動物は、羊や牛などの動物ではなく、「子羊イエス」です。また、ノアが羊を神に献げたのでなく、父の神がノアのために御子イエスを献げたことを意味します。神は、罪人を受け取ることはできません。子羊の血によって聖いものとしてから受け取ります(ヘブル10章全体参照)。
人のどんな犠牲や行為も、罪を裁く神の怒りを「なだめる」ことはできません。罪は、死という代価が支払われてこそ消され、怒りもなだめられます。
友よ。信仰の香りとは、自分が神に何かすることではなく、神が献げたイエス・キリストを主と信じて受け取ることです。神はそれを良い香りとして喜ばれます。