4月18日 №64

ノアは、正しい人であって、その時代にあっても全き人であった。ノアは神と共に歩んだ。

創世記6章9節

「全き人」とは、罪や欠点のない人のことではありません。「もし、罪はないというなら…真理は私たちの内にありません」(Ⅰヨハ1章8節)。全きとは、「二枚舌や虚飾」の反対、「すなお・飾らず」などの意味です。

すると、ノア以外の人々は二枚舌を使い、自分を飾り偽って生きていたことになります。このような人々には、「飲んだり、食べたり、めとったり、とついだり」(マタ24章38節)が一番大事なことになります。全き人は、自分の心の貧しさにおののき、罪に悲しみ、柔和でない自分に泣き、義(ただ)しくあることに渇きを覚え、不純なので清くなることを神に求めます(同・5章1~8節参照)。

ノアが「正しく・全き人」になれた理由の一つは、父レメクが神なき暴虐の世を悲しみ、自分の子にノア(慰め)と名付けるほど、神に慰めを求めたからです(5章29節)。その親に育まれたノアも、霊の貧しさや罪の悲しみを覚え神に求めました。友よ。正しく全き人とは、清い人のことではなく、神の前で「悲しみ、泣き、叫び、訴える者」では。神はその人と共に歩んでくださいます。