12月3日 ヨシュア記No211
これを聞いたイスラエルの人々は、シロで、イスラエルの人々の共同体全体の集まりを開き、彼らに対して軍を差し向けることにした。
ヨシュア記22章12節
ヨルダン川の東側の人々が祭壇を築いたことを知ったイスラエルの共同体は、彼らを懲らしめるために軍隊を派遣しようとしています。原因は祭壇にありました。西側の人々は、「東側に祭壇を造ったことは偶像礼拝に当たる」と判断しました。東側の人々は、「偶像礼拝などではなく、自分たちの信仰を西側の人々に認めてもらうために祭壇を造った」と主張しました。同じ神を礼拝する者なのに、なぜ不一致が起こるのでしょか。
このような「クリスチャンの不一致」は、キリスト教会の初めから、というよりも、ヨシュアの時から繰り返し出てきた問題です。カトリックとプロテスタント、聖母マリア礼拝、幼児洗礼、洗礼の形式など、不一致の問題を数え上げると切りがありません。
最も根本的な間違いはヨルダン川の東側に祭壇を造ったことにありますが、それは表面的な現象であって、問題の本質は、彼らが、「神の国と神の義を第一に求めなさい」との掟に反したことでした。ただし、東側の人々のような、神を第一とできていない人々がいても、それを責めて殺してよいわけではありません。各自の達した信仰を認めねばなりません(フィリ3章16節参照)。
友よ。相手を認めねばなりませんが、それは「真理」として認めるのではなく、「愛」によって認めるのです。愛は真理を呼び覚まさしますが、真理が愛に先立つと裁きになり、相手を殺します。