11月25日 ヨシュア記No203
主が先祖に誓われた土地をことごとくイスラエルに与えられたので、彼らはそこを手に入れ、そこに住んだ。
ヨシュア記21章43節
ここに至るまでのヨシュア記は、息つく暇もない信仰の決断の連続でした。ヨルダン川を渡ってカナンに入ってからは、たくさんの敵と戦わねばなりませんでした。このことを見ると、「神の子は、天国に入るまでは安息を与えられないのだろうか」と思わされますが、どうでしょうか。
確かに神の子の歩みは、決断の緊張・血を流す戦い・貧しさ・たかぶり・痛みと悔い改めの連続ですが、それらすべての底に流れているものがあります。それは、「あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリ4章7節)との御言葉です。聖書は、「神の子となり聖霊に満たされたなら、『平安』に過ごすことができる」とは言わず、「『平和』があなた方を守る」と言います。
人が神に望むものは「平安」ですが、神が人に望むものは「平和」です。「平安」とは、何事もなく自分の思い通りになることを願う「人の思い」です。「平和」とは、試練や戦いがあっても、それらを通してでも人が神の御心から外れずに歩むことを願う「神の思い」です。
友よ。「思い煩うのはやめなさい」(同6節)と言われる理由は、「主がすぐ近くにおられる」(同5節)からです。「平和」という言葉は、政治用語では「正しい関係」のことだと聞きます。戦場のただ中であっても、主に継がり交わる「平和」を持つことはできるのです。