10月6日 ヨシュア記153

すなわち主がモーセを通して命じられたように、くじで九つ半の部族に嗣業の土地を割り当てた。

ヨシュア記14章2節

 各部族に土地を割り当てる方法は「くじ」でした。こんな大事なことが「くじ」で決められるとは、はなはだ無責任にも見えます。そのように考えるのは、自分の意思が反映されていないと思うからです。

 しかし、人間の存在と人生のほとんどは、しかも最も大事と思えること(時代、民族、国籍、両親、性別、能力など)は、くじで決められています。パウロは、「『兄は弟に仕えるであろう』とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いによらず、お召しになった方によって進められるためでした」(ロマ9章11~12節)と言います。

 それでは、自分の親や性別や能力を自分で選ぶことができるならば、人はどうなるでしょうか。まずは、神を必要としなくなります。次には、さらに自己中心を肥大させ、今以上に人同士で殺し合うようになるでしょう。自分の思い通りになることは自分自身を見失わせるからです。人は、自分の能力や意思を超えたところで神に出会い、神に出会って自分を知ります。無力と限界こそ、神への通用門です。

 友よ。「それでは、人間はロボットなのか?」と言っていませんか。否、あなたには、割り当てられた領地における自由が与えられています。くじによって神を知り、置かれた嗣業の地で神に依り頼んで生き、さらに神を深く知るのです。神こそあなたの嗣業です。