9月2日 ヨシュア記No119

指導者たちは皆、共同体全体に言った。「我々はイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。今、彼らに手をつけることはできない。」

ヨシュア記9章19節

 協定を結んで三日後に、ギブオン人は遠くの民ではなく、神が滅ぼせと命じたカナンの民であることが分かりました。もし気づかずに共同体に入れ、共に歩んだならば、どうなったでしょうか。

*神の国の真理や愛が、人の道徳や常識や愛に代えられる。
*救われるためには、神の働きだけでなく人間の良い行い(律法)も必 要、と考えるようになる。
*世間の常識から外れないように生きようとする。
*聖書が語ることだけでなく、特定の指導者の教えも同等に重んじるようになる。
*献身もせず、魂の飢え渇きを持たない神の子になる。
 
 サタンが神の子と教会から奪いたいものは福音の「高さ・深さ・鋭さ」です。ギブオン人を受け入れる寛容さは一見神の愛のようですが、実際には人間愛に過ぎません。高さ・深さ・鋭さを失うと、サタンを退けることができず、神の子たちは成長することができなくなります。

 友よ。あなた自身と教会に福音の力はありますか。福音の力は、主イエスの十字架の血の力です。なぜなら、十字架の裏側には復活があり、この二つは一体だからです。復活の命が神の力であり、それはイエスの血がつくり上げる力です。あなたの中の、イエスの血を通さないギブオン人を、主に示していただいてください。「彼の受けた傷によって,わたしたちはいやされた」(イザ52章5節)。