9月1日 ヨシュア記No118

ヨシュアは彼らと和を講じ、命を保障する協定を結び、共同体の指導者たちもその誓いに加わった。

ヨシュア記9章15節

 エリコもアイも滅ぼし尽くした神の民でしたが、ギブオン人の暖かくソフトな攻撃に魂を抜かれ、ついに彼らと同盟を結び、神の国の住人として受け入れてしまいました。

 サタンは、初代教会時代の迫害のように、初めは暴力・中傷・政治的権力を用いて外側から攻撃します。それで倒せないと見ると、今度は教会の中に入って来ます。そして、似て非なる教理や指導者への人格的攻撃などを用いて内側から崩そうとします。その最たる方法は、復活を強調して十字架を隠すことです。幼児洗礼などはまさに、十字架(悔い改め・罪の赦し)を隠し、復活(神の子・永遠の命)を持っていると見せかけることです。サタンは十字架を抜きにした神との和解(救い)を私たちに示しますが、それは偽りです。

 「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出てきているからです」(Ⅰヨハ4章1節)。その見分け方は次の御言葉が教えています。「イエス・キリストが肉となって来られたこと…。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません」(同2~3節)。

 友よ。主イエスが人(肉)となられたのは罪の代価を払うため、十字架は復活させるため、復活は三位一体の神との交わりに入れるためでした。神が人となる→ 十字架→ 復活と命→ 三位一体の神との交わり。この順序が大切であり、一つも欠けてはなりません。