8月30日 ヨシュア記No116

彼らは言った。「僕どもはあなたの神、主の御名を慕ってはるかな遠い国から参りました。主がエジプトでなさった一切のことも、…ことごとく伝え聞きました。

ヨシュア記9章8~9節

 ギブオン人たちは、イスラエルの歴史に働かれた神の御業を知っていました。すると、ますます彼らを信用したくなりますが、気をつけねばなりません。彼らはイスラエルの過去の歴史については言及していますが、つい最近のエリコとアイの出来事については語っていません。

 聖書に書いてあることは、アブラハムなどの大昔のことであっても、今の私たちへのメッセージです。それをただのアブラハム個人の出来事として受け取ることは、イスラエルの過去の罪を語っても、神の前に自分が罪人であり、裁きの中に入っていることを無視するのと同じです。そして、キリスト教の教理や歴史を語っても、自分と神との現実的な関係である罪・裁き・悔い改めなどを無視することとも同じです。

 エリコとアイの出来事を、自分自身への神の啓示として受け止めて神の前に出て行かねば、批評家にはなれても、信仰によって生きる人にはなれません。

 信仰の友よ。信仰者とは、神と自分の関係を見る者であって、教理や歴史を知り、キリスト教について理解している者ではありません。ペトロの、「主よ、この人(ヨハネ)はどうなるのでしょうか」との質問に対して、「あなたは、わたしに従いなさい」とだけ主は言われました(ヨハ21章22節)。他者のこと以上に、神の前にいる自分の姿こそが最も大事です。