8月24日 ヨシュア記No110

ヨシュアはこの祭壇の石に、モーセがイスラエルの人々のために記した教えの写しを刻んだ。

ヨシュア記8章32節

 ヨシュアは神の祭壇を鉄の道具を使わず自然のままの石で造り、そこにモーセに与えられた御言葉を刻みました。

 「キリスト教の御本尊は?」と聞かれますが、もちろんそんなものはありません。しかし見える形のものとしては、「契約の箱」があります。それは拝む対象ではなく、神がどのようなお方で、神が人に何をしてくださるかを表すものでした。

 箱の中には、石に刻まれたモーセの十戒がありました。十戒は、「初めに言があった」の「言」が「言葉」とされたもので、それこそ「聖書」と言えます。「主なる神(ヤーヴェ・エロヒーム)」は、聖書によって顕(あらわ)されます。さらに契約の箱には「贖いの蓋(ふた)」があって、大祭司が年に一度雄牛の血を注ぎました。これは、霊なる神と罪人が、主イエスの十字架の血を通して継がりを持てるようになることを教えます。さらに、箱の上に一対のケルビムが置かれました。ケルビムは、単なる天使を超えて、聖霊を象徴するものでした。契約の箱こそ、三位一体の神の表現でした。 

 モーセに啓示され、石に刻まれた神の教えである「聖書」を与えられている友よ。それに鉄を当てて自分に都合よく変えてはなりません。聖書を、「…墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙…」(Ⅱコリ3章3節)とせねばなりません。聖書を自分で解釈するのではなく、聖書に自分を解釈していただくのです。