8月23日 ヨシュア記No109

この祭壇は、主の僕モーセがイスラエルの人々に命じ、モーセの教えの書に記されたとおり、鉄の道具を使わない自然のままの石で造られた。

ヨシュア記8章31節

 重厚な石造りで高い塔を持つ、歴史的な古い教会堂も数多くありますが、エバル山の祭壇は、鉄の道具を使わず自然のままの石で造るように命じられました。

 これは今に始まったことではなく、「もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。のみを当てると、石が汚されるからである」(出20章25節・27節)とモーセの時代から命じられていたことでした。

 「祭壇の石を加工しない」とは、「神の教えに手を加えない」「人が勝手に解釈しない」ということです。現実に、豪華絢爛な会堂であるほど、国や教団や教派、地位や組織、人の思惑、伝承や継承などの人の手が加わり、神の教えの基本である原石の形を変えてしまいがちです。

 また、人から見た神についての聖書の教えと理解も、加工された石となり得ます。「『主よ、主よ』と言う者が天国に入るわけではなく、わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタ7章21節)とあるように、「神の御心を実践しようとすること」が原石の祭壇となります。 

 友よ。あなたの祭壇・教会・礼拝・霊の交わりは、原石で造られているでしょうか。そして、さらなる原石とは、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタ18章20節)とあるように、「人ではなく神を中心とすること」です。