7月1日 ヨシュア記No61

彼らが土地の産物を食べ始めたその日以来、マナは絶え、…人々に、もはやマナはなくなった。彼らは、その年にカナンの土地で取れた収穫物を食べた。①

ヨシュア記5章12節①

 カナンの地に入って最初に変化したのは食物でした。四十年間食べ続けたマナから、その土地の食べ物に代わりました。食の変化は命の変化であり体の変化です。

 子供には離乳食が必要ですが、大人には固い食物が必要です。神の子にも、「乳」を飲む者と「固い食物」を食べる者がいます(ヘブ5章11~14節参照)。幼子はマナという乳を飲みます。マナは自分で働いて収穫したものではなく、毎朝集めに行くだけで食べられるものでした。それは恵みを受けるだけの信仰です。メッセージを聞くだけ、祈ってもらうだけ、証しを聞くだけ……という具合に、他者を通して神の恵みを受け取る信仰です。もちろん、信仰の初歩ではそれで十分ですが、いつまでも乳信仰(恵み信仰)では困ります。

 「固い食物を食べる」とは、神の恵みを、他者を通してではなく自分の信仰によって得ることです。御言葉を自分で読み、自分で祈り、自分の全存在をもって主に従おうとすることです。御言葉、礼拝、集会、祈りを自分の歯で噛んで、もっと多くの栄養を取り入れれば、さらに強くされます。

 友よ。あなたの食事は「乳」と「固い食物」のどちらですか。自分を認めてくれる御言葉(食物)と、罪を示し服従することを求める御言葉(食物)の、どちらを求めていますか。「固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです」(同14節)。