6月25日 ヨシュア記No55

そのとき、主はヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。

ヨシュア記5章2節

 ヨルダン川を渡って敵地に入り、今は戦いの準備に集中せねばならない時なのに、ヨシュアは民に、もう一度割礼を施すよう命じました。エジプトを出た後に生まれた者たちは、無割礼のままだったからです。

 割礼は、「あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。包皮の部分を切り取る」(創17章10節)という契約でした。「肉体的しるし」が大事なのではなく、「霊的しるし」を表現するために、割礼が必要でした。それをパウロは、「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく〝霊〟によって心に施された割礼こそ割礼なのです」(ロマ2章28~29節)と明言しました。

 男の子の包皮を切り取る割礼の意味はなんでしょうか。それは、「肉の命を伝えない(切る・死ぬ)」ことであり、「私は、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」(ガラ2章19~20節)ということを表します。

 友よ。霊の割礼は、老若男女すべての者への命令です。戦うための最大の備えは、「最速(もはや)われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり」(文語訳)という、「肉(自分)に死に、霊(神)に生きる信仰」という割礼です。