6月24日 ヨシュア記No54

ヨルダン川の西側にいる…王たちは皆、…主がイスラエルの人々のためにヨルダン川の水を涸らして、彼らを渡らせたと聞いて、心が挫け、…

ヨシュア記5章1節

 ヨルダン川西岸の人々は、荒れ野に四十年もいたイスラエルの民が川を越えてやって来たことを聞き、心が挫けました。ヨルダン川の水かさの多い時期に、男ばかりか女子供まで渡れるとは、彼らには信じ難いことだったのでしょう。そして彼らは、イスラエル人が川を渡れたのは彼らの神の御業だと信じ、神を恐れました。

 聖書全体のメッセージは、「神は唯一の神である。その神は今も生きている」です。それをエレミヤは、「『わたしは生きている』と主は言われる」(エレ22章24節・46章18節)と一言で表しました。

 それでは、唯一の主が生きていることを、未信者はどこに見るのでしょうか。その最初は、神を信じない者が葦の海を渡り、神の子となった姿です。次は、その者がヨルダン川を渡った姿です。前者は人が新しい命を持った姿であり、後者はその命によって生きている姿です。前者は一時の出来事ですが、後者はその後の継続した歩みです。特に、自我から解放され、神の命によって愛に生きる姿によって、神が生きていることを人々は見ます。

 友よ。現象としての奇跡もありますが、それはさらに内にある霊の奇跡を表す手段です。最大の奇跡は、あなたの自我が砕かれ、主の霊で生きるようになることです。自己中心の人から愛の人に変えられることです。ヨルダン川を渡った証こそが、人々に主を畏れさせます。