6月20日 ヨシュア記No50

民はヨルダン川から上がって、エリコの町の東の境にあるギルガルに宿営した。ヨシュアはヨルダン川から取った十二の石をギルガルに立て、

ヨシュア記4章19~20節

ヨルダン川を渡り終えた民が宿営した場所は「ギルガル」と言う地でした。ヨシュアはそこに、川床から運んだ十二個の石を積み上げて記念としました。

「ギルガル」という名は、「転がし去る」が原意であり、そこから、「恥辱を取り除いた」(5章9節)という意味に理解できます。エジプトを出てから四十年間、イスラエルの民の、神への不従順……つぶやき、不信仰、モーセへの反抗、偶像礼拝、エジプトへの愛着など……は枚挙に暇がありませんでした。ギルガルは、そのような敗北の信仰生活を転がし去らせた記念の地でした。

不信仰を生み出していた「肉の命」が「霊の命」に代わったのは、契約の箱がヨルダン川の中にとどまり、水をせき止めたからであり、これこそキリストの十字架の御業でした。さらに、水がせき止められた川床を民が通ってきたことは、民が主の十字架と一体となったことを意味しました。「私たちがキリストと一体となってその死の姿にあやかるならば」(ロマ6章5節)が実現したのです。

過去の傷や恥辱を抱える友よ。あなたにも解放の道・ヨルダン川が備えられています。傷、恥、無力感に敗れ続けた荒れ野を後にして、神の命によって生きる地に踏み出してください。肉に死ぬヨルダン川を恐れないでください。ヨルダン川をよく見てください。そこでは主があなたの恥辱を引き受けて十字架についています。あなたは乾いた川床を歩くだけです。