6月1日 ヨシュア記No31

ヨシュアは、朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し、ヨルダン川の岸に着いたが、川を渡る前に、そこで野営した。①

ヨシュア記3章1節①

 イスラエルの民は、エジプトを出てから四十年間を過ごした荒れ野での生活に終わりを告げようとしています。民は、ヨルダン川を渡るために川岸に野営し、最後の準備をしました。

 出エジプトの時、民は葦の海を渡りました。それは水のバプテスマ(洗礼)を表し、「イエスを主」と信じる信仰の告白でした。洗礼によって、世の君主ファラオと死の支配から解放され、神の子の命を持つことができました。それは原罪からの救いでした。

 しかし聖書は、神の子であるだけで良しとはせず、「そこからヨルダン川を渡り、約束の地へ行け」と次の課題を与えます。それは、「聖霊に満たされ、聖霊によって歩め」との命令です。なぜならば、神の子の命を持っていても、主イエスが備えた恵みによってではなく、肉によって歩んでいるからです。

 パウロは、神の子となりながら、長年肉の力に苦しみ、「わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。…自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです」と告白しました。しかし、肉との格闘の末、「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則」を知り、「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを神はしてくださった」と勝利の叫びを上げました(ロマ7章13~8章11節参照)。

 友よ。神はこの恵みをあなたにも与えてくださいます。川岸にとどまらず、先に進みましょう。