5月29日 ヨシュア記No28

二人は彼女に言った。「あなたが我々に誓わせた誓いから、我々が解かれることもある。」

ヨシュア記2章17~18節
 
 ラハブが二人を窓からつり降ろして逃がそうとする時、彼らはラハブに約束させました。それは、家族全員を家に集めること、もしだれかが戸口の外に出た場合、その血の責任は自分たちにはないこと、さらに、赤いひもを窓に結びつけることでした。 
 
 聖書における旧約・新約の「約」とは契約の「約」であり、「神と人との契約」を表します。神は御自分に似せて人を造りましたが、神と人のいちばん似たところは、「人(神)格=自由意志」を持つことです。あらゆる被造物の中で人間だけが、神に対して「否」と言える存在です。 

 それゆえに、神はエデンの園の中央(霊的世界)に「善悪の知識の木」を置かれました。これは人の「善(命・正しいこと)と悪(罪・正しくないこと)」を示す、人の「生きる基準」、すなわち十戒に代表される「戒め」でした。

 人の善とは「神に継がり交わって生きる」ことであり、悪とは「神から離れ断絶し、神以外のもの(自分も含む)で生きる」ことです。 
 
 しかし友よ。神と人の契約は、互いの合意による契約ではなく、神が計画し神が実行する、一方的な契約です。遺言状に対する受け手の態度は、受けるか拒むかの二択しかありません。
 ラハブに対する二人の斥候の言葉は、あなたに対する神の救いと守りの愛の言葉です。しかし、あなたが「アーメン」と言わないと、約束は実現されません。「御心が私に行われますように」と祈りましょう。